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ビシュケク

キルギス首都のビシュケクにご案内

キルギス共和国の首都と心であるビシュケクは天山山脈の支脈キルギスアラトー山脈の北斜面とカザフスタン国境を流れるチュイ川に挟まれた海抜750‐900mと北緯43度に位置しています。町は基盤の目のように整然とし、緑多い街並みになっています。また、その政治的、科学的、経済的、文化的な中心地、および重要な交通の中心部であります。ビシュケクは新興都市で、2003年に125周年記念日を祝ったばかりですがそれでも市内にはホテル、カフェ、レストラン、銀行、病院、ショップ、ナイト・ライフ(ナイト・クラブ、バー)、インターネットのような様々な近代都市の長所があります。

ビシュケクは広くて急速に発展している都市(面積125平方キロメートル)でありますが殆どの主な見物が位置する都心を徒歩で楽しむことが出来ます。ビシュケクはジュルというシルクロードの昔の住居跡のところにありますが考古学者は石器時代に既に人が住んでいたきざしの証拠を持っています。ビシュケクは19世紀にコカンドハン国が本ハン国の影響と大事な貿易ルートを守るために建設した35ヵ所の要塞の一ヵ所の要塞でありました。

1862年にこの地域はロシア軍に占領され、ロシア帝国に編入されました。1877年にビシュケク都市は地域の行政の中心地になりました。1926年にこの都市は、ロシア内戦に白軍に対してボルシェウィクを指導した赤軍司令官、モスクワの新ソビェト政府のために中央アジアを支配したフルンゼにちなみ、フルンゼと改名されました。1991年に、都市はビシュケクに改名されました。都市の名前の起源に関して様々な伝説があります。

都市部はロシアのエンジニアの都市計画で造られ、歩きやすい町であります。多くの道は南北、東西に走っているというような基盤目のシステムであります。(あるいは現地の人々が言っているようにウェルフとウ二ズ、上と下)

10年前の人口が70万人であり、世紀の終わりに100万人を超えました。従って、ビシュケクは山地の国にあって人口密度の一番高い地域になりますがオープンペースと広々とした公園がたくさんあるために、そう思われません。様々な民族からなり、国勢調査によると約120以上の民族があります。一番多数の民族がキルギス人、ロシア人、ウィグル人、ドゥンガン人、ウズベク人、中国人、タタール人です。

天山山脈の麓にあるため、キルギスの最も美しいアラアルチャ自然公園から40キロしか離れていなく、街市内のどこから見ても、夏の7-8月でも万年雪の山がきれいに見えますから写真家にとって格好の背景となります。その南方のスカイラインにそびえたった山脈は、約5000m以上まで昇り、松、青いトウヒ、ポプラ、モミ、ネズ、ニレなどに覆われています。珍しい種類も含めて、野生のチューリップ、ポピー、アイリスなどが生長し、春にはカラフルな色合になります。山地には野生のシカ、アイベックス、オオカミ、ユキヒョウ、イノシシ、鷹、ワシなどの野生生物が生息しています。

ビシュケクは工業の中心であることがあまり知られていないかもしれませんがその工場でキルギス共和国の生産量の約半分が生産され、特に重工業、繊維、履物に重点が置かれています。第二次世界大戦の特別の名残となった、近いたドイツ軍を避けるためにロシアのヨーロッパ部分から移された多くの工場であります。一番有名になったのがプロスペクト・ミラにあるレーニン工場です。

ビシュケクの観光

ビシュケクは観光客にとってしばしばキルギス旅行の出発点になります。ここから国の名所と見物が始まりますがビシュケク自体にも観光名所があります。ビシュケクの市内観光をするとしたらお勧めするのが博物館、ショップ、ギャラリー、広場、公園、レストランなどで見所が都心部の周りに集まっています。

ちょうど都市の真ん中にアラトー広場が位置しています。白い山の峰を背後にして映える白い大理石で作った正面のあるホワイト・ハウスは政府のお宅で広場の側にあります。広場の中心部にはマナス像(キルギスの英雄叙事詩)、キルギス共和国のソビェト文化的遺産と国の歴史を描写する大きな品々が展示される歴史博物館があります。

アラトー広場には噴水、コンサートや文化的な行事が行われる舞台があります。ここは国の祭典、記念式典が行われる中央広場でもあります。最近までここに高くそびえたレーニン像はエルキンディックという近代的なキルギスの自由の女神像に取ってかわられましたが現在歴史博物館の向い側にあります。しかし数年後、女神像の代わりに、マナズ像が造られましたから現在有名なキルギス英雄叙事詩のマナスがそびえ立っています。レーニン像は新しいお宅となった旧広場に移動されて置いてあります。この近くのエルキンディック・ギャラリーで現地の画家の展示会が行われています。やがて現れてくる芸術界の星を見るために、立ち寄る価値があります。この都市はアベニューに沿った並木と数多くの公園で有名です。豊かな自然や人々を観察するには涼しくて影のいいカシの木の公園が理想的であります。そこに戸外の彫刻美術館があり、石、金、木で彫刻された彫像が点在して展示されています。

都心部を歩きながら、素晴らしい記念像などの写真を撮る機会が多いです。少し変わったところを訪問したいなら、最近キルギス歴史上の重要人物の記念物が多くあるアラアルチャ墓地があります。

ビシュケクの見どころ

1.オシュ・バザール

ビシュケク市民の台所と言えるキルギスの最も古くて大きいバザールでいつも熱気にあふれています。東半分は野菜、果物、肉などの食品、西半分が衣類、雑貨が中心です。川を挟んで西隣に近郊へのバスとオシュ方面へのトラックバスの発着所があります。

肉売り場は牛肉、豚肉、羊肉と鳥肉の部に分かれていて、建物の奥まで行けば牛乳やカテージチーズ、アイランというヨーグルトなどの乳製品が売られています。遊牧民の伝統的な飲み物クムズという馬乳酒も買うことが可能で飲んでみたいお客さんはここで試すことも出来ますが体が慣れていないと下痢になる可能性がありますから気をつけた方がいいです。

お米の売り場に行くと、ロシアと中国から輸入される様々な種類のお米がありますがその中、最も珍しくて品質高いのがオズゲンというキルギスの南に栽培される赤色の米です。このオズゴン米から作られるプロフという炊き込みご飯に最適ですからキルギス人だけではなく、ウズベク人も大好きです。

 

2.中央国立歴史博物館

ビシュケクの中心地であるアラトー広場の前の大きな3階建ての建物はキルギスの歴史を扱った歴史博物館です。昔キルギスの領土で住んでいたソグド人の遺跡からの出土品、工芸品、生活用具やソビェト時代とレーニン革命時代の様々な物が展示されています。3階にはキルギス国内で発掘されたサカ族(スキタイ族)の青銅器や茶碗と剣を持った石人が展示されています。歴史だけではなく、キルギス人を代表する遊牧民の移動式住宅ユルタ(ゲル)や馬道具などのキルギスの文化や伝統に関するものもたくさん展示されていますからキルギスの歴史や文化にご興味のある方は歴史博物館の見学をお勧めします。

 

3.マナス像とレーニン像

アラトー広場の中心部で馬に乗りながら剣を持って、そびえ立っている像はマナス王像です。このマナス王はキルギスの象徴でキルギス人が1000年も昔から語り継いだ英雄叙事詩のヒーロです。キルギス民族のマナス英雄は世界的に有名な叙事詩でこの名前にちなんでマナス空港やマナス通り、マナス大学もあります。庭の両側に実在したキルギスの有名人であるマナスチというマナスの語りべが並んでいます。

 

4.フルンゼ司令官の博物館

ロシア革命からソ連時代初期にかけて運事的な指導者として活躍したミハィル・フルンゼの生家です。ビシュケク出身のフルンゼさんは青年時代から革命運動に傾倒。革命とそれに続く内戦で軍事的才能を活かし、各地で赤軍を勝利に導きました。ただ民主主義の間では当時生まれつつあったコカンドハン国の民族政権を倒し、ブハラを破壊した張本人として悪名が高いです。

ビシュケクの歴史

ビシュケクはシルクロード時代にキャラバンの停泊地としてイランから移住してきた貿易関係のソグド人に造られた都市でした。15世紀~16世紀にかけて、シベリアのエニセイ川沿いで住んでいたキルギス人が今の天山山脈の麓に移住し、今のキルギスに進出しましたから当時からキルギス人がこの地で定住しています。しかし1825年に今のウズベキスタンからのコーカンドハン国がキルギスの土地を占領して、キルギス人を服従し、現在のビシュケクのところで大きなピシュペックという要塞を建設しました。

コーカンドハン国に弾圧されていたキルギス人はロシア帝国の一部になることを決めましたから1862年にロシア帝国の侵攻が始まりました。こうしてビシュケクがロシアに編入され、そのままピシュペックと呼ばれるようになりました。ロシア帝国の移住政策の結果、農民の入植が進められ、キルギスではロシア人が増加しました。しかしロシアの力が強くなり、キルギス人の弾圧し始めましたから不満していたキルギス人が反ロシア帝国の革命を起こしましたが失敗しましたからキルギス人がアフガニスタンとタジキスタン、パミール高原に脱出しました。

ピシュペックはだんだん大きな街として発展し、1878年に都市に昇格し、都市の地位を得ました。1916年に有名なレーニンの革命が起こり、ロシア帝国が崩壊しましたからキルギスは自由になり、解放されました。1926年にソ連の自治体共和国としてキルギス自治体ソビェト社会主義の共和国になりました。しかしピシュペックの名前がフルンゼ(Frunze)に改名され、自治体共和国の首都になりました。フルンゼは当時のピシュペック(現在のビシュケク)で生まれたロシア人の軍人・司令官でした。

1991年に旧ソ連が崩壊しましたからキルギスが独立し、キルギスタン共和国として主権を宣言しました。しかし1993年の5月にキルギス共和国に改名されました。

ビシュケクのマップ

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