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アクべシム遺跡

アク・ベシム遺跡はキルギスの首都ビシュケクから 東に49キロ、カザフスタンとの国境から広がるチュイ川盆地に位置する都市遺跡です。キルギスを代表する観光名所の一つは世界遺産のアクべシム遺跡で、歴史的に大事な役割を果たしていたところです。シルクロードの貿易路として栄えたアクべシム遺跡は6世紀から10世紀にかけて、文化と文明の十字路でありました。1982 年に現地でたまたま発見された碑文(杜懐宝碑)で、この都市は遺跡のアクベシムと同定されました。アクべシムという名前がその周辺のアクべシム村の名前にちなんでいて、遺跡の新しい名前ですが歴史的な古い名前がスヤブでした。スヤブはイランの有名な川で、シルクロード時代に貿易をやっていたイランからのソグド人はキルギスに移住してから今のアクべシムの要塞を造りまして、ここの名前をスヤブにしました。スヤブは基本的にはソグド人の停泊地と植民市として利用されていたところです。

アクべシム遺跡

アクべシム遺跡の歴史

1893年から1895年までアクべシム遺跡で発掘調査をしたワシリー・バルトルド考古学者と1940年に調査したアレクサンダー・ベルヌシタム考古学者の報告によると、アク・ベシム遺跡がカラ・キタイ(西遼)の首都クズ・オルダだったそうです。

1940年にアレクサンドル・ベルヌシタムという考古学者により発掘事業が始まりましたが第2次世界大戦が始まったことで発掘が中止されました。しかし1953年にロシアとキルギスの科学アカデミーの共同の調査・発掘の結果、アクべシムが昔のスヤブの廃墟であることが明らかになり、ここから仏教寺院やモスクが発掘されました。アクべシム遺跡から発掘された出土品がキルギスの博物館で展示されています。

アク・ベシムの面積は300,000平方メートルで、結構広い遺跡です。キリスト教の教会と墓地、仏教寺院、ゾロアスター教徒の納骨堂、ソグド語・ウイグル語の碑文、中国風の城砦、テュルク系民族に作られたバルバルという石人などが発見され、遺跡から多くの仏像も出土されています。

アクべシム遺跡が存在したのが10世紀の終わりくらいまでで、そのあとはシルクロード交易の重要拠点であるバラサグン遺跡に移りました(現在の世界遺産ブラナ塔)。11世紀に当時の最も強いテュルク系民族のカラハニードはバラサグンという大きな都市を造り、アクべシムがこの新しい都市に遷されました。

残念ながらアクべシムを見に行くと人工的に掘られた穴しか何もありませんが実際には歴史的に非常に大事な意義を持っている観光地です。2004年にユネスコの世界遺産になってから三蔵法師が立ち寄った遺跡として有名になり、日本や中国、韓国からの観光客がたくさん訪問するようになりました。正直に言うと大草原にある遺跡で、残っているのが発掘されたあとの穴だけですので観光客の中でがっかりする方もいます。しかし現在キルギスの政府は日本政府と共同でアクべシム遺跡の修復事業を行う予定です。将来的に遺跡敷地内では日本支援で歴史博物館も建設されるかもしれません。

三蔵法師が立ち寄ったアクべシム遺跡

629年にインドに向かう途中、アクべシム遺跡を訪問したという説があります。三蔵法師は中国からキルギスの天山山脈のべデル峠を越えて、キルギス真珠のイシククル湖の南岸に入ってきました。イシククル湖南岸を歩いて、現在のトクマクというキルギスの街の方に向かいました(当時はトクモク街がありませんでした)。トクモクから20分くらい離れた所に、アクべシム遺跡に来て、歓迎を受けたという説がありますから日本で有名な三蔵法師が足跡を残したところで旅をするのが面白いです。またはここで有名なリハクという中国の詩人が生まれた場所としても有名です。

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アクべシム遺跡の地図

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