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グーリアミール廟・サマルカンド

グーリアミール廟は1404年にティムールが戦死した孫のムハンマド・スルタンのために造ったものです。グーリアミールの意味はアミールのお墓です。最初にこの場所に葬られたのがティムールの師ベルケですが、ティムール自身も1405年、遠征中にオトラルで没したあと、ここに埋葬された。ティムールはシャフリ・サブズに小さな自分用のお墓を作りましたが突然の死が真冬だったため、雪に覆われたシャフリ・サブズに葬ることができず、ここに納められたと言われます。

入り口から入るとムハンマド・スルタンの中庭の正面にある64本の溝が掘られたブルーの美しいドームを持つ建物がグーリアミール廟です。このドームは2重のようににあっており、外側から見た形と内側から見た形が違います。これはドームをより高く見せるため、内側のドームの上に外観用のドームを重ねた構造です。左手にわずかにムハンマド・スルタンのマドラサが残っています。

ドームの内側は金箔で覆われており、様々な文様で採られ美しいですが暗くてよく見えません。ドームの中央にはシンプルな墓石が並んでいます。手前ムハンマド・スルタン、後ろにならんだ三つの棺のうち、真ん中の黒い墓石がティムールのものです。これは元々一つの石から出来ていました。しかし1740年にサマルカンドを攻めたイランのナディ―ルシャー(マシュハドを首都としてアフシャ―ル朝を建国)ですがこの墓石をイランに持ち帰る時、あやまって二つに割ってしまったと言われます。伝説によれば、そのあとナディ―ルには不運が続き、彼の息子も死にかけました。そこでこの墓石をサマルカンドへ戻したところたちまち回復したと言います。その左にある白い大理石の墓石がウルクべク、左がティムールの師ベルケ、ティムールの棺の真後ろが息子のシャールフ(ウルベクの父)のものです。ティムールの他の二人の息子ジャハーンギ―ルとウマル・シェイフのお墓がシャフリサブスにあります。墓石が地下にあり、モスクの裏手からそこに通じる扉があります。管理人に100スムを出せば入れてくれ、どれが誰のお墓か解説してくれます。

グーリアミール廟に関する面白いエピソード

ここには面白いエピソードがあります。1941年にソ連学者によって、ティムールのお墓が開かれました。この時に、伝承とおり右手右足が不自由だったこと、ウルベクが首を切られ殺されたことなどが確認されました。しかしこの墓にこんな伝承もありました。「何びともこの墓を開く者は我より恐ろしき者に打ち倒されるであろう」。翌日の22日、ヒトラーは独ソ不可侵条約を破り、ソ連に侵攻を開始したのであります。

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