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ドゥシャンベ、タジキスタン

ドゥシャンベはタジキスタンの首都で、ヒサール渓谷の中心に位置し、周囲をゆるやかな山々に囲まれた平均標高が750~800mです。北部に平均高さ4000mのヒサールザラフシャン山脈があり、南の方にカフィル二ガン川が流れています。ドゥシャンベはタジク語で月曜日という意味で、昔毎週の月曜に市場が立っていた村が由来です。1961年までに旧名は有名なスターリンに因んで、「スターリンの町」を意味するスターリン・アバードでした。ソ連成立前後の内戦時に起きたバスマチ戦争の際には、一時ブハラのアミールの亡命先となりました。1991年のソ連崩壊を機に独立したもの、約5年にも及ぶ内戦で多くの被害と120万人もの難民を生み出しました。しかし内戦終了から20年近くが経過し、治安が安定化傾向にありますから安心です。

ソ連一部としてタジク社会主義共和国の成立後はその首都としてソ連的な近代都市が築かれました。住民もロシア人を中心とする移民が半数を占め、当時から極めてタジク色が薄かったです。現在では頻発するクーデターのためタジク人以外の民族は減っています。

歴史

ドゥシャンベのところで紀元前5世紀の遺跡もあったことから、昔から人が住んでいた定住地として知られています。しかし19世紀までは大きな街というよりも規模的に村といえるくらいの大きさでした。ロシアで起こった革命後にボリシェビキ関係の戦争が始まり、ドゥシャンベがタジク人の反革命軍の拠点となりました。1922年にここを赤軍が支配することになり、1925年に村から町へ昇格して、タジク自治ソビェト社会主義共和国が誕生しました。

しかしソベェト連邦に入っていた国がすべて民族境界により各共和国に区分されたので、タジキスタンがタジクソベェト社会主義共和国が誕生して、首都の名前がスターリナバードになりました。ソビェト時代にドゥシャンベの地方は綿花をつくる大生産地として有名になりましたから、他のソ連国から農民がタジキスタンに移住させられたことや地方のタジク人もドゥシャンベに移住したことでドゥシャンベの人口が増えてきました。1961年に元の名前のドゥシャンベに改名されました。

1991年にソ連崩壊後、タジキスタンが独立して、主権を宣言しました。

ドゥシャンベの歩き方

ドゥシャンベのメイン通りがルダーキ通りで、ドゥシャンベ駅前の広場から北に延びています。駅前の広場から600mくらい北の方に行くとアイ二広場ありますから、そこから東西に走るアイ二通りを狭んで北側に時計台が印象的な旧総合博物館やその西側に旧ソ連の典型的なホテルなどあります。ルダーキ通りでまっすぐ行くと、自然豊かな公園のような並木道のBulvar通りがあり、若いカップルや子供を連れて散歩する両親などが多くいる場所で、のんびりした雰囲気です。通りの両側には政府関係の官公庁、おしゃれなホテルや高級なレストランなどがあります。

アイ二広場から2キロくらい歩くと、ルダーキ公園が見え、その中に有名なイスモイル・ソモ二ーの記念像があります。公園を散歩するなら、公園の中央にある大きな噴水を見るのがおすすめです。公園の中に、様々な種類の木がたくさん生えていますから、ここで歩くのがとても印象的です。ここからはまたルダーキ通りは進路を北にとります。このあたりは町の中心地で、ここに有名なレストラン、商店や両替場があります。

ルダーキ通りで東に行くと、大統領宮殿があり、そこから西に延びる通りはイスモイル・ソモ二で、ここに国立総合博物館、中央サッカー場と動物園があります。

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