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ブハラ、ウズベキスタン

ブハラはウズベキスタンのブハラ州の州都で、人口が24万人です。中央アジアだけではなく、イスラム世界全体の文化と宗教的な中心地として栄えた大古都です。中央アジアではサマルカンドと並ぶ文化遺産の宝庫ですがその雰囲気が全く異なり、ブハラの方がより伝統的な都市の姿を保っています。ブハラの名前が昔のインドで使用されていたサンスクリト語に由来します。長い歴史を持つ都市はその位置や造りが時代によってある程度変化するものですがブハラの旧市街の主要な建物の配置は9世紀以来ほとんど変化していません。さらに帝政ロシア時代は一応保護国であったため、直接にはロシア化されることがありませんでした。文化面でもブハラは今世紀に至るまで常に中央アジアの定住文化の中心地であり続け、特にサーマーン朝(875‐999年)時代には中央アジアのみならずイラン・イスラム文明全体を代表する都市でした。

世界的に有名な医学者イブンシーナーもブハラの出であります。そのイスラム教学の伝統は少なくとも今世紀初めまでは続き、イスラム世界各地から多くの法学者や学生が集まりました。ブハーラ・イ・シャリーフ(タジク語で聖なるブハラ)と呼ばれたゆえんであります。住民については11世紀ごろから1000年近くテュルク系遊牧民の王朝(ティムール朝やブハラハーン国など)の支配下にありましたがブハラがほとんどテュルク化が進みませんでした。そのため現在でも市民の大半はタジク人で、自らの町をブハーラとタジク風に呼んでいます。

ブハラとブハーラ

ブハラの町はサマルカンドとともにウズベキスタンを代表する観光都市ですが住民のほとんどがタジク系であることがあまり知られていません。かつてのブハラではアミール宮廷のみならず、市民たちももっぱらタジク語を話し、街そのものもブハーラーとタジク語で呼ばれてきました。テュルク系言語のみを話す人は極めて少なかったのであります。しかし現在の政府による統計では皆ウズベク人ということになっており、各々の身分証明書にもそう記載されています。

こうした事情はサマルカンドやフェルガナ盆地でも同じであり、ウズベキスタンの全人口にタジク人が占める割合が統計よりはるかに多いことが明らかです。タジク人たちは表面的にウズベク人であるため、タジク語では教育を受けられず、公的な場面でもウズベク語かロシア語のいずれかを用いています。他の少数民族と比べれば、かなり不利な状況にあります。

その原因は1924年にウズベキスタンの誕生に遡ります。当時の定住民にはテュルク系とタジク系の両方が存在しましたが、生活習慣がほとんど同じであったため、言葉に関係なくサルトと呼ばれていました。両者は母語は異なっていましたがたいていの場合はタジク人がテュルク系言語も話せたので、日常的なコミュニケーションの問題がなかったようです。

しかし1924年にこしたサルトもその言語により、ウズベク人とタジク人に分けられることになりました。この時、ウズベク側の指導者ファイズッラ・ホジャェフの政治により、中央アジア南部の主要なオアシス都市がほぼすべてウズベキスタンの領域に入りました。しかも領域中でウズベク語が少しでも話せる住民は全てウズベク人として登録してしまったのであります。結局、ドゥシャンベ周辺のみがタジク人の国となりました。しかも当初はウズベキスタンの自治州扱いで、1929年にようやく、ホジャンドを加えてタジクスタン共和国として分離しました。

ともかく現在の5民族はこのようにして生まれました。ウズベキスタンに住むタジク人自身は当初これに対して異議を唱えませんでしたがペレストロイカあたりから、知識人を中心に民族籍の変更と文化的自治を求める運動が起きていました。またタジキスタン本国でも運動を支援したり、サマルカンドやブハラの帰属変更を求める議論が起こっています。これらの主張に対し、ウズベキスタン側がタジク人の住民について、本来テュルク系民族であったのが定住した際にタジク化されたものとして反論しました。

ブハラ観光

ブハラには様々な設計で建設されたモスク、霊廟やマドラサなどの観光名所があります。

ブハラは1993年にユネスコの世界遺産として登録されました。古代からソグディアナの中心地であり、そのあとサーマーン朝の首都であったので、当時の中央アジアで大事な役割を果たす主要都市になりました。20世紀までブハラ・ハン国の首都としても決められ、西トルキスタンの政治と文化の中心地でありました。

ブハラはザラフシャン川下流域のオアシス地帯に位置し、隣国のトルクメニスタンと国境を接していますから、ブハラの観光をする旅行者はビザがあれば問題なくトルクメニスタンに入国して、2ヵ国の観光を楽しむことが出来ます。約80キロのところにトルクメニスタンとの国境がありますから、そんなに遠くありません。

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