ビービー・ハーヌム・モスク(ビビハ二ム、ビビハヌム・モスク)はサマルカンドのレギスタン広場に位置する中央アジア最大のモスクです。ブルーのタイルに覆われたビービー・ハーヌム・モスクはレギスタン広場から北東に10分、タシケント通りのバザールの手前です。
1398年にインド外征から戻ったティムールは各地から優秀な建築家や芸術家と建築技術者の粋結集して巨大なモスク(ビービー・ハーヌム)の建造に取りかかりました。ティムールの目的は世界に比べる物が大きいモスクを建設することでしたから、200人の職人や600人以上の労働者も建設に従事させられました。ティムール朝時代に現在のサマルカンドを訪問したスペインの騎士ルイ・ゴンザレズ・デコラビホの「中央アジア旅行記」によると、モスク建設のために使う資材や貴石を運ぶには90頭以上の像を使用したと言われています。しかしこの壮大なビビハ二ムのモスクの建設が完成したのがティームルの死後3年目です。残念ながら彼はモスクの完成を見ることなく亡くなってしまいました。ビビハヌム・モスクの建設が完成したのが1404年です。
130m×102mの長方形の回廊の四隅にはミナレットが建ち、本門から中庭に入ると正面にメインの大モスク、左と右に小モスクが建つという構成でした。時間が経つうちにモスクは次第に荒廃し、19世紀末の地震でミナレットが真ん中で折れ、アーチが崩れて廃墟となってしまいました。
モスクは次第に使用されなくなり、早く廃墟と化してしまいましたがその理由としては当時の建築家は急速な造成をしたためだとされています。または1897年の大地震で、ビビハ二ムのモスクが部分的に崩壊しましたから修復する必要がありましたから、2001年にサマルカンドがユネスコの世界遺産になってから、ユネスコの協力による大規模な修復作業が進められ、再びその雄姿を見せようとされましたから現在は中央アジアの最も美しいモスクの一つです。
ティムールの愛妃ビビ・ハヌムは外征中の夫を驚かそうと巨大なモスクを建設させます。しかしティムールの凱旋前に完成させることが難しかったです。そんな時、妃に恋した建築家が彼女へキスを求め、もしそれが許されないなら、仕事を続けることができないと言い出しました。妃は言うことを聞き、建築家に頬を差し出しましたがキスマークが残ってしまいます。サマルカンドに凱旋したティームルは完成したモスクを見て、喜びましたが妃の頬のキスマークに気が付き、建築家を死刑しました。妃には二度と他の男を誘惑できないようにと、以後ウェールで顔を覆うことを命じたと言われます。
妃は完成した塔の上から投げ落とされたという言い伝えもありますが、ビビ・ハヌムという名の妃は実在しないとも言われています。