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メルヴ遺跡、トルクメニスタン

メルヴ(マルブ、マーリ)はトルクメニスタンのカラクム砂漠に位置する中央アジア最大の規模を誇る遺跡です。メルヴに最初に都市が建設されたのは紀元前6世紀頃で、世界遺産として登録されたのが1999年です。遺跡の敷地が非常に広いため、国立歴史文化公園とも呼ばれています。シルクロードの交易の拠点として、アレクサンドロス、アケメネス朝ペルシャ、パルティア、ササン朝などの時代に数々の盛衰を繰り返しました。メルヴはペルシャと中央アジアを結ぶ重要な中継地点として成長しました。当時は「サトラップ」と呼ばれていましたがマケドニア王国期にはメルヴの旧名がマルギァナでした。11世紀~12世紀にセルジュ―クトルコの首都ここに置かれ、東方の真珠と言われるバクダードに次ぐ、第2のイスラム都市として最盛期を迎えました。しかしモンゴルのチンギスハーンの侵攻の際にすべてが破壊され、老若男女を問わず、住民が皆殺されました。

ドーナツ形の城壁が残るエルク・カラの部分が最も古い時期のもので、アケメネス朝(紀元前6世紀~4世紀)の城跡とされています。メルヴ全体のいい写真を撮るには城壁に登るのをおすすめします。この城壁から南の方に行くと紀元前4~3世紀時代のギャウル・カラがセロウコス朝時代のもので、3世紀~7世紀のササン朝の時代まで利用されました。ササン朝の時代にはメルヴでゾロアスター教から仏教、キリスト教などの色々な宗教が栄えましたから、様々な時代の遺跡が残っています。

メルヴの中心にあるスルタン・カラは11~12世紀のトルコの系の諸民族の王朝セルジュックの時代に建設されました。当時からメルヴはセルジュック王朝の首都として栄え、ここは文化、経済の中心地になりました。数学者のオマル・ハヤムとペルシャの有名な詩人のルバイヤトがメルヴの天文台主任主任として活動しました。

そのあとのメルヴは半世紀の間、住人のいない土地になり、18世紀に一時この地方の支配者がバイラムアリ・ハンが町を再建したものの、1795年にブハラのアミールにより完全に破壊されました。

メルヴ遺跡はメルヴという1884年に主にロシア移民によって作られた町から東約25キロのバイラム・アリ町より北へ5キロの所に、60平方キロにわたって点在しています。世界最西端の仏教遺跡が発見された場所としても名高いです。当初は遺跡の名前に因んで町がメルヴと呼ばれていましたが1937年に現地で通用していたメルヴの名に改められました。それ以来トルクメニスタン第4の都市として発展し、現在の人口が10万人以上です。

メルヴ遺跡はトルクメニスタン首都のアシガバットから約330キロのところにあります。現代都市のバイラム・アリの郊外で、マリから約30キロです。その近くにマリの第2の工業都市もあります。メルヴには遺跡から発掘された様々な出土品が展示される博物館がありますから、古代の遺物を見るには最適な場所です。

 

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