+996 708 999 877 taku@triplandasia.com
キルギス・カザフスタン
現地旅行会社
+996 708 999 877 taku@triplandasia.com
キルギス・カザフスタン現地旅行会社

アルマトイ観光の案内【アルマティ、カザフスタン】

アルマトイ(アルマティ)を観光で訪れる方は気になるのが市内観光時の観光スポットやおすすめの名所とアルマトイについての情報ですので、効率よくアルマトイの観光ができるように、役に立つ情報をシェアしてバッチリ解説します。アルマティの観光を予定する方はどうぞ参考にしてください。

アルマトイ概要

地理

アルマトイはカザフスタンの南東に位置する最大の都市、人口2百万人と市面積約324平方キロメートルです。アルマティ市は天山山脈の支脈アラタウ山脈の海抜630~1200mに位置し、北緯が43度で日本の札幌とほぼ同緯度です。アルマトイは地理的に山岳国であるキルギスとの国境に近いところに位置していますから、他のカザフスタンの地域に比べるとアルマトイの方が山が多い地域になっています。なのでアルマトイは天山山脈の支脈を望む町であり、特に朝早く起きて、コクトべ山頂に行ってアルマティのパノラマと天山山脈の絶景を満喫することが出来ます。

アラタウ山脈の氷河からの水が大アルマティ川と小アルマティ川となって市内を流れ、乾燥化した砂漠のようなカザフスタンの他の地域とは違って、アルマティの水資源が豊かで緑の多い街です。暑いステップのカザフスタンの気候と比較するとアルマティの気候は過ごしやすく,夏の平均気温が 20~25 度,冬が―7度です。

観光名所・主な見どころ

アルマティの観光をする時に、どこへ行ってもリンゴの像があります。その理由は昔のアルマティにリンゴの木が多くあったこで、アルマティの名前がリンゴという言葉に由来し、意味はリンゴの里という意味です。

アルマトイの中に様々な緑の公園、歴史的に大事な出土品や遺構が展示されている博物館、バザール、ショッピングモールなどがありますから、皆様のアルマトイ観光が面白くなり、楽しい時間を過ごすことが出来ます。

アルマティの市内観光・カザフスタンツアーならカザフスタンの現地旅行会社Triplandにお任せください。

 カザフスタンツアーに関する一覧

パンフィロフ戦士公園

第2次世界大戦の時に、モスクワを防衛するためにカザフスタンから出征したアルマトイと中央アジア国出身の28人の戦士たちの記念をしてつくられた戦士公園です。ドイツに反対して、50台の戦車のうち、18台を破壊しましたが戦いの時に戦死されましたから、功績のある戦士たちのためにアルマティの中心地に大きな28人のパンフィロフ公園がつくられました。パンフィロフは28人の一番偉い人で、司令官の人でしたから、公園の敷地内パンフィロフさんの像が立っています。

この公園が非常に広いので、ゆっくり天山山脈のモミとトウヒの木の景色を眺めながら、戦勝記念の像や永遠にとだえることのない火と無名戦士のお墓と大祖国戦争関係のモニュメントを見学することが出来ます。

パンフィロフ戦士公園、アルマトイ

ゼンコフ・ロシア正教会

パンフィロフ戦士公園の中心地にある木造のきれいな教会です。ゼンコフロシア正教会が1904年に当時の有名な設計家と建築家のゼンコフさんの設計で建設されました。1911年に大地震が発生しても倒れなかったことで、この教会が有名になりました。旧ソ連時代に教会の建物が博物館として利用されていましたがソ連崩壊後にまた教会になりました。2019年に教会の修復事業が終わりましたが新しく見えて、教会の建物が非常にきれいです。

入場料:無料、住所:  Gogol str, 40 B

民族楽器博物館

パンフィロフ戦士公園にある木造建設の建造物です。プラト・サリバエフさんによって収集された様々な音楽楽器やカザフ人の民族的な楽器が展示されている。しゃみせんの形をしたカザフの弦楽器ドンブラや,シャマニズムの儀式にも使われた古い弦楽器コムズや様々な国の楽器などが展示されています。楽器博物館の建物がゼンコフ建築家の設計で,1908 年に建設された建造物です。

開館時間 10:00~19:00、住所:Zenkov str. 24、 休日:月曜日、入館料 : 350 テンゲ

中央バザール

アルマティの最も安いバザールで、直訳すると緑の市場という意味のバザールです。中に食料品、衣類、ドライフルーツ、乳製品、肉など、何でも売られていて、何でも入手することが可能、見学するには面白いです。乳製品の中に、遊牧民の伝統的な飲みもの馬乳酒もあります。ツアー観光の方は帰国する前に、ここで買い物することをおすすめします。

国立中央博物館

カザフスタンの歴史資料がとても豊かな博物館です。一番大事な遺構がアルマティの近くにあるイシク村の古墳から発掘された黄金人間です。スキタイ族の戦士であったこの黄金人間の本物が首都のヌルスルタンの博物館に展示されていますから、アルマティの博物館にあるのがレプリカです。または古代の遺跡からの出土品とカザフスタン世界遺産の観光地についても情報がたくさんあります。2階にはカザフ人の有望生活に関する展示場で、馬道具や移動式住宅のユルタが置かれています。展示場はカザフスタンに住む民族、先史時代から 16 世紀までの歴史,16 世紀からのカザフ人の伝統的な生活,第二次世界大戦時の歴史,現代のカザフスタンの 5 つに分かれています。

開館時間 9:30~17:30、休日:火曜日、 入館料:外国人 500 テンゲ

日本人墓地

第2次世界大戦後、中央アジアとロシアで残ってしまった日本人抑留者たちが強制労働に従事させられ、たくさんの日本人の抑留者たちがアルマティの中央墓地に眠っています。カザフスタンの科学アカデミーや水力発電所などが日本人に建設されました。この日本人墓地には一つの墓石の下に6名が埋葬されていると言われます。アルマティの日本人のお墓が墓地の奥にありますから探すのが難しいですが入り口の現地警備員や保衛のおじさんに聞けば、場所を教えてくれます。

住所:Rayimbek str 235

コクトべ山頂・行楽地

天山山脈の支脈アラタウとアルマティの市内を展望するとしたら、標高1130mのコクトべ山頂が最高です。コクトべの意味はカザフ語で「緑の山頂」という意味です。カザフスタン・ホテルのそばにあるロープウェイ乗り場からゴンドラに乗って、市内からコクトべの山頂まで登ることが出来ます。山頂の展望台にはカフェや遊園地、観覧車と動物園もあります。市内に戻る時に、ゴンドラで下りてもいいですが散策すきな方は絶景を満喫しながら下りることも出来ます。山の斜面にあるのが高さ 327mのテレビ塔ですが登ることが不可能です。暗くなるまで行くと地平線に太陽が沈む姿も楽しむことが出来ます。

オープンタイム:10時~22:00時、ロープウェイ代:1000テンゲ(片道)

メデオ(メデウ)スケートリンク

自然愛好家なら、アルマティ近郊の主な観光名所である大自然のメデオをぜひ訪れてみてください。アルマティから南へ16キロに位置するメデオがアラタウ山脈の山系中にあり、アルマティの主な観光・スポーツ施設です。メデオの標高が1700mにあり、中心施設であるのがメデオのスケートリンク場(10500平方メートル)です。これは1972年に開設されたスケートリンクで、ここで多くのスピードスケートの世界新記録が出されたことがあります。夏にはローラースケート,テニスコートとして使われます。水質のいいスケートリンクですからここで冬の様々な競技が行われ、2011年にアジア冬季競技大会会場としても使われたことで有名です。

メデオにロープウェイもありますからゴンドラで4キロくらい離れたシンブラックというスキー場に行くことも可能です。ここで冬の時にスキーをやることも可能です。

アルマティの歴史

アルマティでは紀元前11世紀ごろ以降の出土品や遺構が発掘されました。アルマティ近郊のイシク村の近くにあったスキタイ族の墳墓から黄金人間が発掘されたことから、この地域が紀元前6世紀の有名な古代民族のスキタイ(サカ族)族の支配地域であったという説があります。アルマトイの近郊から鎖帷子と装飾品を身にまとった黄金人間が発見されてから、アルマティが世界的に有名な町になりました。

1854年に中央アジアの征服を目指したロシア帝国が昔のアルマティの土地でヴェル二―という要塞が建設され、それまでアルマトゥと呼ばれていた集落が街として開発されるようになりました。そのあと、1867年にヴェル二―がセミレチエ州の州都として行政の中心地になりました。残念ながら1911年に起こった大地震でアルマティの中にあった建物が崩壊し、街が大きな被害を受けましたが現在のパンフィロフ公園の中にあるロシア正教会の建物が崩壊しなかったことで有名になりました。

レーニンのロシア革命後に1920年にキルギス自治ソヴィエト社会主義共和国が誕生し,ヴェルニーが同共和国に編入された。1925年に共和国名がカザフ自治ソヴィエト社会主義共和国に変更されたので、首都はクズルオルダに移り,1929 年に現在のアルマティに遷都した。1941~45年の第2次世界大戦の時には多くの避難民がアルマアタ(今のアルマティ)に移住して、人口が増加して、街が急速に発展しました。

ゴルバチョフのペレストロイカ路線が始まってから、アルマティの有名な政治家コナェフというカザフスタンの共産党の一書記をが罷免して、ロシア人のゴルビンを第一書記に任命したことをきっかけで、「アルマアタ事件」という民族的な暴動が発生しました。この暴動は,アルマティの共和国広場で起こって,死者と負傷者がたくさんいましたから、アルマティの歴史に大きな足跡を残しました。

1990 年にカザフ・ソヴィエト社会主義共和国は主権の宣言をして,ソ連崩壊後にカザフスタンが独立してから、アルマアタがアルマティに改名されました。

しかし1997年の12月に、首都のアルマティは今のヌルスルタン(旧名アスタナ)に遷都しました。それでもアルマティはカザフスタンの経済、政治、文化の中心地として共和国的な意義を持つ都市として認定されて、南の都市と呼ばれています。

ツアーの種類

弊社のメリット

  • 手ごろなツアー料金
  • 高品質・安全なツアー
  • ツアープログラムの多様性
  • 24時間可能な日本語対応緊急連絡先
  • 優秀な日本語ガイド